朝鮮半島ならびに東アジア情勢の近現代史を語る上で、基礎として押さえておかなければならないことを序文として記します。
【ロシアの南下政策】
受験で世界史を選択した人なら必ず知ってる重要な用語です。ロシアは中世よりこのかた、ず~っと南方へ進出したくてしたくてたまらないのです。外国との交易のために冬でも港湾が凍らない「不凍港」を自前で持ちたかったのです。
古都サンクトペテルブルグはスウェーデンとの戦争に勝利した後にピョートル大帝によって造られた都市です。だから彼の名が都市名になってます。ロシアンは「西欧への窓が開かれた」と大喜びしましたが、不凍港ではありませんでした。ざんねん!byロシアン
東西交易の要所イスタンブールも欲しくて欲しくてたまりませんでした。なのでトルコとは何度も何度も戦争しています。ナイチンゲールが活躍したクリミア戦争が有名ですが、これは露土戦争(ロシアとトルコの戦争)の一部に過ぎません。
トルコは強国でロシアはいつも苦戦します。ロシアを嫌う英仏などが参戦して邪魔をするので、トルコへの南下はことごとく失敗してます。国家的な利害関係もあるだろうけど根本的に英仏などはスラブ人がダイキライなようです。
東アジアでもロシアの南下政策は積極的に行われ、清朝(中華帝国)に圧力をかけてはじわりじわりとロシアと清の国境を南下させていきました。
そんななか、エカテリーナ2世の使節ラスクマンが根室に来航したのが1792年です。
【間宮林蔵の北方大冒険】
間宮海峡を発見したことで知られる間宮林蔵さんですが、彼が幕府から帯びた密命は少々意味が異なります。密命は『露西亜がどのへんまで来とるか?お前ちょっと行って確かめてこいや!』というものでした。
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1808年から翌年にかけて間宮隊は冒険に出かけ、樺太が島であることを確認(=間宮海峡の発見)し、対岸の沿海州に渡り、清国の役所であるデレンに赴き、敵情視察をしてきました。
沿海州がロシア領となったのが1860年ですから、かなりヤバかったんですね。
ロシアンはすぐにウラジオストクの都市建設に着手しました。意味はロシア語で「東方の支配」です。ロシアンの本気度がうかがうえますね。
しかしここも完全な意味では不凍港ではありませんでした。またかよ(ーー゛) byロシアン
したがってロシアは更に南下を進めます。「朝鮮半島を一部でもロシアに領有されてウラジオストクのような軍事拠点を建設されては国防上かなわん」というのが日本の立場でした。
【南方脅威と沖縄・台湾】
脅威は北方だけではありません。欧米列強のしきたりに沿って、全方向に領土・領海を確定し防衛線を敷くことが必要でした。江戸時代の琉球は薩摩藩の支配下にあり江戸幕府へも朝貢していましたが、同時に清帝国の柵封下にもありました。
こういう曖昧なことでは欧米列強に弱みをつかれるので、明治政府は廃藩置県で沖縄県を設置(1879年)し領土としましたが、案の上清朝がクレーム付けてきました。
時期が前後しますが、1871年に台湾に漂着した琉球漁民が殺されるという事件がありました。このとき清朝政府が「台湾は化外の地(清国の領土ではない)」として、責任逃れをした経緯もあります。
この事件は日本の台湾出兵をまねき、その事後処理に大久保利通が全権委任として清国と交渉。英国公使ウェードの調停もあり、清国がしぶしぶ日本に賠償金(50万両)を払うことで解決しました。
清朝(中華帝国)はメンツ(宗主権)にこだわり琉球の領有権を主張し日本に抗議しつづけます。前アメリカ大統領のグラントが調停案をしめしましたが、話し合いが通用しないのは今も昔もかわりがありません。
まあ、この調停案は先島諸島(宮古・八重山)を清国に譲るというものでしたから、日本側ものめるわけないんですけどね。当時は国家間の争いがどうにもならん時は戦争で解決という時代でしたから、沖縄の領有権問題は日清戦争(下関条約)で解決しています。
小笠原諸島は日本とアメリカの間で所属問題が未解決でしたが、あっさりとアメリカが譲って1876年に日本領になりました。
【幕末の図ですが、欧米列強のアジア進出の様子を引用します。】
この状況で沖縄諸島(琉球)が日本固有の領土じゃない・・・なんてあり得んでしょう。どことはいいませんが欧米列強国に一部でも租借されてたら喉元に剣です。一国じゃなかったかもしれません。沖縄の複数の地にそれぞれ別の国の租借地があって拠点にされる。
考えただけでも身の毛がよだちますね。
当時の清国(中華帝国)は欧米列強に進出され半死半生でした。なのにアホなメンツにこだわってギャーギャーと日本にだけは文句言うので問題がややこしくなりました。清朝が漢民族ではなく満州の女真族による征服王朝だったこともややこしさに拍車をかけました。
近代国家に生まれ変わった日本(明治政府)は領土を画定し防衛線を敷きたかった。ただそれだけでした。しかしそのために日清・日露のふたつの戦争をしなければならない羽目になりました。
国際情勢というのはいつの時代も厳しいものなのですね。
~序文おしまい・いよいよ本編へつづく~
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朝鮮半島史~目次
【今回の記事の画像はすべて所有している山川出版社の歴史教科書を撮影したものです】
尺があまったのでロシアンのオマケ画像
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朝鮮半島近現代史研究 序文~「日本列島防衛線の構築」
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