この記事含めてあと2回で終わりです。
前回の記事で述べましたように『三・一独立運動(1919年)』以降、朝鮮半島に関する記載は1945年までありません。詳説日本史研究にも詳説世界史研究にも記載はありません。日本の台湾の統治(1895~1945年)に関しても一切記載がありません。
ですから、うちで書いてる朝鮮半島史はいきなり戦後(第二次世界大戦後)になります。
連合国側の首脳が極東アジアの戦後処理をどうするつもりだったのか?引用して書いておきます。
あ、その前に第二次世界大戦中には中華大陸に3っつの政権があったことも書きくわえておきます。
当時の中華大陸は列強国による半植民地化と各地の軍閥支配によって分裂状態で統一政府はありません。
①首都南京から脱出した蒋介石の国民党政府(重慶)
②日本と結んだ王兆銘の南京政府(日本寄りの政権)
③延安に引き籠っていた毛沢東による共産党解放区
(第2次国共合作で国民党とは一時休戦・紅軍は国民党軍に貸与)
南京事件(1937年)で日本軍に南京を追われた蒋介石と日本と結んだ王兆銘(国民党の実力者)は超仲悪い対立関係にありました。国民党内の内紛・権力争いですね。今も昔もこの国は変わらないw 国民党もかわらないw
詳説世界史研究(山川出版社 2002年版) より書き起こし
↑高校教師用の教科書です。
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481頁本文
1943年1月、F.ルーズベルト・チャーチルの両首脳はカサブランカ会議をおこなって、枢軸国に対する無条件降伏の要求を決定した。
同年11月イタリアの降伏直後、米英両首脳と中華民国の蒋介石はエジプトのカイロで会談し(カイロ会談)、対日問題についてのカイロ宣言を発表して、日本が第一次世界大戦後奪取した太平洋上のすべての島を取り上げ、満州・台湾は中国に返還すること、朝鮮を独立させることを決定した。
また日本の無条件降伏も約した。
<画像は左から、蒋介石・F.ルーズベルト・W.チャーチル/カイロにて>
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これらの約束をしたのは国民党政権(重慶政府)の蒋介石です。なんで現在の共産党独裁・中華人民共和国がこれを引き継いでいるのか不思議だし、腑に落ちないし、立腹もいたしますが、国際社会の外交ではよくあることなんです。先進国(列強国)が『もうそれでいいや!』となれば『それでいい』ことになるのです。
ちなみに国際連合発足時の常任理事国は中華民国でした。中華人民共和国の国連加入は1971年です。じゃあなんで中華人民共和国がいま常任理事国なん?ってほとんどの人が思うでしょう。強権(ゴリ押し)によって常任理事国の地位を奪い取って、さらに中華民国を『国』ではなく『地域(Chinese-Taipei)』にしたんです。
中華民国はこれに抗議して国連を脱退しました。
くわしくは → wikipedia.org/wiki/アルバニア決議
まったくもって酷い話ですよ。 ┐('~‘;)┌ 子供心にも酷いって思った!リアルタイムでなっ!
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489頁本文
カイロ会談で戦後の独立が了承されていた朝鮮は、日本の降伏によって植民地支配(植民地支配とちゃうで!併合したんやで!)から解放されて、建国準備委員会を中心に独立政府樹立の動きが始まり、1945年9月には朝鮮人民共和国の成立が宣言された。
そのほか、大戦中に国外にあったグループも、祖国建設に参加することを熱望した。それらには、
・亡命先のアメリカで反日独立運動を進めてきた李承晩、
・中国国民党と関係の深いグループ
があり、また共産主義勢力にも、
・ソ連の支援で抗日ゲリラ闘争を進めてきた金日成の率いる祖国光復会
・中国共産党とともに戦った延安派
などがあった。
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国難に際して、国内をまとめきれないのはいつものことですね。もう飽きましたよ。ずっと未来永劫-千年でも万年でもやってろ!w カイロ会談にソ連(スターリン)は招かれなかったので案の定ややこしいことになります。
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489~490頁本文
ところが朝鮮の将来を決定したのは、北緯38度線を境界に分割占領した米・ソの動向であった。(筆者注:ようするに第二次世界大戦中.1945年の軍事占領ね)
1945年末に開かれたモスクワでの米・英・ソの3国外相会談では、朝鮮を5年間、米・英・中(蒋介石政権)・ソ・の信託統治下におき、その間に独立国家建設の準備を進めることが決められた。
そしてその準備のための臨時政府の組織に関しては、米ソ共同委員会が朝鮮人の諸団体と協議することとされた。ところが、民族の自主性を求めて信託統治に反対する大衆運動が展開される一方、朝鮮共産党は外相会談の支持を発表するなど、朝鮮の政治情勢は左右に分極化した。
1946年と翌47年に開かれた米ソ共同委員会が協議団体の条件で分裂すると、アメリカは朝鮮問題の解決を国連総会に付託した。
1948年5月、国連臨時朝鮮委員会のもとで南朝鮮だけの単独選挙がおこなわれ、8月にはアメリカ型の大統領制に議院内閣制を加えた憲法が制定され、大韓民国が成立した。
初代大統領には親米反共主義者の李承晩(1875~1965.在1948~60)が就任した。
これに対し、北部でも金日成(1912~94.首相1948~72.主席72~94)を首相として朝鮮民主主義人民共和国の独立が宣言され、南北の分立が始まった。
<画像上・李承晩、画像下・金日成>
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権力者が政権掌握するために反対派を大量に虐殺したことは書いてありませんでしたね。
わたくしもこんなのを文章に打つのは面倒だし腹立たしいのでリンクを貼っておきます。
wikipedia.org/wiki/保導連盟事件
wikipedia.org/wiki/済州島四・三事件
wikipedia.org/wiki/聞慶虐殺事件
wikipedia.org/wiki/日本漁民の拿捕・抑留・虐殺(李承晩ライン)
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481頁本文
朝鮮戦争は1950年6月25日、南北間の軍事衝突が続いていた北韓38度線を越えて北軍が攻勢に出たことに始まった。戦争が勃発する直前の情勢は、朝鮮民主主義人民共和国に有利と思われた。
共和国の人民軍は装備と兵力で韓国軍を上回り、アメリカの対中ソ防衛ラインには朝鮮半島は含まれていなかった。人民軍はまたたくまにソウルを陥落させ、半島南部の釜山付近にまで到達した。
ただちに国連安全保障理事会が招集されたが、中国の国連代表権問題(中華民国なのか中華人民共和国なのか)で理事会をボイコットしていたソ連が欠席したため、共和国(北朝鮮)の軍事行動を侵略行為とするアメリカの提案が採択された。
これをうけて韓国軍を支援するために、16カ国で構成される国連軍が組織された。国連軍はアメリカ軍を中心に構成され、総司令部は東京におかれた、マッカーサーが総司令官に任命された。
1950年9月に国連軍が仁川に上陸して戦局は逆転した。
しかし、国連軍が38度線を突破し、中国国境の鴨緑江にまで進出すると事態は変わった。
アメリカは武力による朝鮮半島の統一を考えたのである。
ところが、自国の安全保障の危機をみた中国(中華人民共和国)は10月、「抗米援朝」の人民義勇軍を派遣し、国連軍を押しかえし、ふたたびソウルを占領した。
その後、戦局は38度線をはさんで一進一退をくりかえし、この間核兵器の使用や中国本土攻撃にこだわったマッカーサーは解任された。
1951年6月、ソ連国連代表マリクの提案で休戦交渉が開始された。
1952年11月には、早期停戦を公約してアイゼンハワー(1890~1969.在1953~61.共和党)がアメリカ大統領に当選し、翌53年3月にはスターリンが死亡した。
米ソ指導者の交代は板門店での休戦交渉に転機をもたらした。1953年7月27日休戦協定が調印され、南北朝鮮の分断は38度線をはさむ停戦ラインで固定化された。
満3年に及ぶこの戦争は朝鮮の国民や施設に甚大な被害をもたらし、南北の国民に感情的な対立を残した。また、南北朝鮮は東西対立の前線として常に臨戦態勢を維持せざるをえず、双方で独裁的な体制がつくられる原因となった。
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少しだけ年表を捕捉
1949年10月 中華人民共和国成立・毛沢東が国家主席に
1949年12月 蒋介石が台湾に逃れ、中華民国(国民党政府)を維持
1951年9月 サンフランシスコ平和条約・日本の主権回復
日本は政治的には朝鮮戦争にまったく加担していません。戦争特需は偶然です。
中・ソはサンフランシスコ平和条約に調印していません。なのでのちに個別交渉
さいごにソウルを占領したのは人民義勇軍(実態は人民解放軍)ですって! ウププw
今回の記事の画像の引用元
1~3枚目:ウイキペディアより
4枚目 :手持ちの教科書をスキャン
もっと詳しく知りたい方は、ウイキペディアでお勉強できます。~~おしまい~~
wikipedia.org/wiki/朝鮮人民共和国
wikipedia.org/wiki/朝鮮戦争
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