当連載記事の目次 ☟
http://ameblo.jp/egiihson/entry-12020339433.html
今年は戦後70周年にあたります。総理談話が出される前に日本の近現代史をお勉強したいと思いまして、
またシリーズ記事を書いています。現代から遡っていくアプローチで連載しています。
【サンフランシスコ講和会議】
平和条約を結んでいきます。当時、西側諸国が認めた中国は中華民国(台湾)でした。もちろん国連常任理事国の中国も中華民国(台湾)でした。逆転された件はあとで述べます(中華人民共和国の成立は1949年10月)。安保条約についてもあとで述べます。
朝鮮戦争はこの講和条約のタイミングで停戦し休戦協定締結が1953年の7月ですが、韓国と北朝鮮は講和会議に呼ばれていません。韓国とは1965年になって日韓基本条約が締結、北朝鮮とは未だ国交がありませぬ。基本条約で韓国が正式って認めたから。
賠償金はぼやかして書いてありますが、実質は連合国(戦勝国)へのものです。
独立前は、米領フィリピン・蘭領インドネシア・英領ビルマ・仏領ベトナム
独立したのは第2次世界大戦後、日本からの独立ではなく元宗主国から独立。
日本の占領は敗戦と講和条約によって無効化されました。
したがって、大日本帝国から独立した国家はありません。
朝鮮半島も連合国信託統治構想下からでしたので違います。
中華民国が台湾なのはあちらの事情なのでこれも違います。
ちなみに、英国は中華民国ではなく中華人民共和国推しだったそうです。
英米が対立したのでどちらの中国も講和会議に呼ばないことで折衷しました。
アングロサクソンが我儘で強情で自分勝手で横暴なのはいつものことです。
話が逸れました。あとソ連ですね。こちらです。
平和条約ではなく共同宣言にとどまっているのは北方領土問題があるからです。
こういう形ではありますが、日本は敗戦国としての禊を済ませて、国際社会に復帰しました。講和して平和条約を結んでいます。なので、いまさら「謝罪」だの「反省」だの、改めて言うまでもないと思っています。
【55年体制】戦後の新党ブーム・政界再編はややこしいので次回記事で詳しく。
吉田茂氏も鳩山一郎氏も元々は「自由党」です。反吉田を掲げて鳩山一郎総裁、岸信介幹事長で結成されたのが「日本民主党」、それがまた合併して現在の「自由民主党」になっています。
お孫さん(鳩山由紀夫元総理・安倍晋三総理)に因果を感じずにはいられません。
由紀夫氏は一郎氏から「友愛」「中ソ寄り」「反米」だけを抽出して受け継いじゃった。再軍備と憲法改正はどこへ行ってしまった?
ともあれ、政党政治も落ちつき、戦後復興と高度経済成長へ日本は向かいます。
その前に日米安保をさらりと。
旧安保の問題点は
①アメリカの日本国防義務が明文化されてない。
②条約の期限が明示されていない。
③極東についてどこまでかの明確な定義がない。
④日本の国内紛争にアメリカの介入を認めていた。
これに野党らが学生を巻き込んで反対したのが安保闘争(60年安保)。更新が10年後だったので70年安保、以後は毎年更新になったので、10年毎の安保闘争はなくなりました。毎年適時にまた日常的にもやっておられます。
【高度経済成長】
高景気に「神武」「岩戸」「いざなぎ」などとメディアが名前を付けました。いまのメディアの体質では考えられませんね。1985年の五カ国蔵相会議は「プラザ合意」のことです。高度経済成長のキーワードだけを時系列で並べていきます。
1955年 【もはや戦後ではない】(鳩山3次内閣)経済白書・神武景気
1950年代後半 【三種の神器】(岸信介内閣) 白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫
1960年 【所得倍増計画】(池田勇人内閣)、1964年に東京オリンピック開催
1960年代後半 【3C】(佐藤栄作内閣) 自家用車(car)・エアコン(cooler)・カラーテレビ
1972年 【ドルショック】(田中角栄内閣) 円が変動為替相場制へ(360円→308円→変動相場)
1985年 【プラザ合意】(中曽根康弘内閣) 円が一気に240円台から120円台へ(バブルの遠因)
【ニクソン=ショックと日中国交回復】
ベトナム戦争に介入したのも、日本円を円だから360円と適当に固定相場化したのも、アメリカさんなのですが、勝手なものです。が、アメリカは当時も今もそんな国ですし、国際情勢の変化というのもこんなものです。
日独に押されているアメリカ経済の低迷打開に中華大陸の市場はとても魅力的に感じたことでしょう。日本も慌ててアトを追います。また当時は中ソの対立が深刻になっていて、あちらさんにも日本に近づく理由がありました。
日本は中華人民共和国側のムチャな要求も随分呑んでいますね。慌てていたたからなんでしょうね。
「反省する態度」って ┐(’~‘;)┌ この国だけには言質を取られています。韓国には取られていません。
あと、対日請求権は放棄していますが、かわりにODAを日本ががっぽりと払う羽目になりました。
また自民党内の親中派と呼ばれる人たちのルーツがここにあります。
煽りを喰ったのが中華民国(台湾)でして、1971年、中華人民共和国の国連加入が認められると中華民国(台湾)は国連を脱退します。このときの中華人民共和国の手段がまた強引なものでして、まさに「力による現状変更」。
詳しくは→ wikipedia.org/wiki/アルバニア決議
1970年代から80年代へ、経済・金融・のグローバル化、情報通信・交通のインフラ整備、が一気に進んで世界は急速に近くなっていき、やがては米ソ冷戦構造の崩壊へと向かっていきます。1954(昭和29)年、総裁を鳩山一郎.幹事長を岸信介として結成された《日本民主党》、中ソとの国交回復、再軍備を意図する憲法改正の意向を示しました。
そのお孫さんの代になって『憲法改正』『防衛強化』『自主独立』『日本を取り戻す』動きがようやく始動しました。
残念ながらもう一方のお孫さんには、友愛と政権交代を除いて、伝わらなかったようです。
鳩山一郎氏の孫が由紀夫氏、
岸信介氏の孫(娘婿が安倍晋太郎氏)が安倍晋三氏
過度のアメリカ依存・アメリカ追従は避けなければいけないと思いますが、真正面から対立は得策でないことを先の戦争と戦後の世界で学びました。
ゆっくりと友好的にアメリカからも自主独立の道をこれから歩まねばならないと思います。
アメリカよりも目先の脅威の国が隣りにありますしね。
チュウ・ロ・カン・チョウ、隣国ほぼ、困ったものです。
~ ~ ~ ~ お し ま い ~ ~ ~ ~
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画像引用元
1~9枚目:詳説日本史研究の目次(山川出版社) 478頁~498頁
10.11枚目、政党公式ポスターより
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日本近現代史研究~②「米ソ冷戦構造下の日本」
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