詳説日本史研究(山川出版社 2000年版) より書き起こし
↑高校教師用の教科書です。
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366~367頁本文
【日露講和会議】
かねがね満州に対するロシアの独占的支配を警戒し、日露両国の勢力均衡を望んでいたアメリカ大統領セオドア=ルーズベルトは、日本政府の意向を受けてこの機会に和平の斡旋に乗り出し、ロシアもこれに応じた。アメリカのポーツマスで開かれた日露講和会議は、ロシアが強い態度に出たため難航したが、1905年9月、日本側首席小室寿太郎外相とロシア側首席全権ヴィッテ(Vitte,1849~1915)との間で、日露講和条約(ポーツマス条約)の調印が行われた。
これによって日本はロシアに、
(1)韓国に対するいっさいの指導・保護・監督権の承認
(2)旅順・大連の租借権と長春・旅順間の鉄道およびその付属の権利の譲渡
(3)北緯50度以南の樺太の割譲
(4)沿海州とカムチャッカの漁業権の承認
などを認めさせ、また満州(日本の租借地などを除く)からの両軍の撤兵、清国に対する機会均等なども取り決められた。
こうして、日本は約110万の兵力を動員し、死傷者20万を越すという大きな損害を出しながら、ようやく日露戦争に勝利を収めた。
【日比谷焼打ち事件】
しかし、増税に耐えて戦争を支えてきた多くの国民は、日本の戦争継続能力について真相を知らされないままに、賠償金が得られないなどポーツマス条約の内容が期待以下だったので、激しい不満を抱いた。
東京では河野広中ら反政府系政治家や有力新聞①の呼びかけもあって、講和条約調印の当日、「屈辱的講和反対・戦争継続」を叫ぶ民衆が、政府高官邸・警察署交番・講和を支持した政府系新聞社・キリスト教会・などを襲撃したり、放火したりした。
(画像:1905年9月5日、東京日比谷公園でひらかれた講和条約反対の決起集会)
いわゆる日比谷焼打ち事件である。政府は戒厳令を発し、軍隊を出動させてこの暴動を鎮圧し、講和条約批准に持ち込んだ。
366頁欄外)
①『東京朝日新聞』『大阪毎日新聞』『万朝報』などの有力新聞は、日露講和条約の条件が明らかになると、いっせいにその条件が日本にとって不十分であるとし、「屈辱的講和反対」「戦争継続」を主張するキャンペーンを展開し、なかには桂首相・小村外相を‘探露’(ロシアのスパイ)と非難する記事を載せた新聞もあるほどであった。
日露戦争は、世界列強の複雑な利害関係を背景として行われただけに、国際政局に大きな影響をおよぼし、とくに東アジアにおける国際関係は大きく変動した。
東アジアの片隅にある有色人種の小国日本が、予想に反して白人の大国ロシアとの戦いに勝利を収めたことは、白人不敗神話を打ち破って世界に衝撃を与え、中国・インド・トルコ・フィンランドなどの民族運動の高まりに大きな影響をおよぼした。
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イギリスにもポーツマスという都市があるので、わざわざ『アメリカの』って書いてあります。
今も昔も新聞メディアというのはあらぬ方向に大衆を煽るものなのですね。気をつけましょう。前の記事にも書きましたが、この当時まだラジオ放送はありません。マスメディアと言えば新聞しかなく、拡散は口コミでした。(日本でのラジオ初放送は1925年)
極東アジアでの南下が挫折したロシアは、またしてもヨーロッパでの南下に力を入れ始めます。そしてトルコで民族運動が高まったことにより、オスマントルコ帝国の力が更に削がれました。この2点は第一次世界大戦の遠因になっています。
『中国・インド・トルコ・フィンランドなどの民族運動の高まり』なるものにについて、世界史の教科書のほうから記述をひろってみましょう。
詳説世界史研究(山川出版社 2002年版) より書き起こし
↑高校教師用の教科書です。
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423頁囲み記事
【日露戦争とアジアの民族運動】
日露戦争の本質は、日・露 両帝国主義国家間の帝国主義戦争にほかならなかった。しかし、アジアの小国日本がヨーロッパの超大国ロシアを負かしたという一面は、ヨーロッパ帝国主義列強の圧迫に苦しむアジアの諸民族に素朴な感動と希望を与えるものでだった。
・孫文らによる中国同盟会の結成(1905)
・ベトナムのファン=ボイ=チャウの維新会による東遊運動
(日本への留学運動)
・インド国民会議による反英運動の高揚
(1906年のカルカッタ大会での4綱領決議)
・イラン立憲革命(1905)
・トルコの青年トルコ革命(1908)
などの民族主義運動は、日露戦争での日本の勝利になんらかの意味で刺激・影響をうけたものであった。
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よくこんな短い囲み記事のなかに帝国主義という言葉をずんどこ入れたものだと思います(苦笑)。よほど帝国主義がキライな執筆者なんですね。「帝国主義についてなんぞや?」というのは次回記事で引用して書きますが、こんな露骨に邪険な書き方をすると思想・信条がバレますよww。
日本史の教科書のほうには、「英国留学中のネル―少年(インド初代首相・当時16歳)が日露戦争の日本の勝利に大きな感銘を受けた。」という記事もあります。「日本に関する新聞記事切り抜き、また、日本についての英文の著作を好んで読みふけった」そうです。
あれ?フィンランドは??日本の教科書冷たいな(ーー゛) 書いてなかったです。
フィンランドは、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15)で、スウェーデン王国の領土からロシア帝国の領土になってました。フィンランドの独立はロシア革命後(1917)で、ロシアへの対抗から第二次世界大戦では枢軸国側でした。あまり知られていません。
日露戦争の勝利によって、日本は欧米列強に認められ、列強国の仲間入りを果たしました。そのことを如実に現わしているのが、明治維新から日本が取り組んできた『不平等条約の改正』の実現です。
日本史の教科書に戻って引用します。
詳説日本史研究(山川出版社 2000年版) より書き起こし
↑高校教師用の教科書です。
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355頁本文
【条約改正】
第2次伊藤内閣になって、外相陸奥宗光(1844~97)のもとで、改正交渉はようやく本格的に軌道に乗った。
(中略)
イギリスは、シベリア鉄道敷設を進めていたロシアが東アジアに勢力を拡張することを警戒し、それと対抗する必要があった。
そこで憲法と国会をはじめ近代的諸制度を取り入れ、国力を増大つつある日本の東アジアにおける国際的地位を重くみて条約改正に応じた。
1894(明治27)年7月、日英通商航海条約の締結である。
(日清戦争の開始と同年同月です)
その内容は領事裁判制度の撤廃・最恵国条款の相互化のほか、関税については日本の国定税率を認めるが、重要品目の税率は片務的協定税率を残すというもので、この点ではまだ不十分であった。
イギリスに続いて欧米各国とも新しい通商航海条約が結ばれ、いずれも1899(明治32)年に発効した。
1911(明治44)年、改正条約の満期を迎え、外相小村寿太郎(1855~1911)は再び交渉を始めたが、日本が日露戦争の勝利を経て国際的地位を高めているだけに列国の反対もなく、関税自主権の完全回復が実現した。
(画像上:陸奥宗光 画像下:小村寿太郎/日本が不平等条約を結んでいたのは、英米仏露蘭)
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列強国の仲間入りを果たした日本に対して、欧米列強国の日本に対するアタリは強くなっていきます。さながら『おい日本!これからは本気出して対応にあたるからな!!』です。
日本列島防衛線の構築という初期の目的は達成されましたが、欧米列強国のあいだの仁義無用の熾烈な争いに日本は踏み込んでいかざるを得なくなってしまいました。そういう時代だったのです。
この時代、白人国家以外で独立の体裁を守っていたのは、日本・タイ・トルコ・イラン・エチオピア・リベリアだけです。イランに関しては本当に体裁だけで半植民地化されていました。エチオピアはイタリアに侵略されてます。
(リベリアは特殊な例で、アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国されました。)
~~次回へ続く~~
今回の記事の画像の引用元
1枚目/外務省公式HP
2枚目/http://heiwa.yomitan.jp/4/3207.html
そのほかはウイキペディアより引用しました。
もっと詳しく知りたい方は、ウイキペディアでお勉強できます。
wikipedia.org/wiki/ポーツマス条約
wikipedia.org/wiki/安政五カ国条約等の不平等条約改正
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